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バイクの旅
ケアンズ→パース)

旅行手段  バイク
 (ホンダREBEL250CC)

後の60’S大家、春奈に書いてもらったニャロメ
メンバー ひとり
日数 9日

10月21日(水)

今日からまた新しい旅が始まった。パースとアデレードに荷物を置いてあるので戻らなくてはいけない。自転車の旅に出発する時はすごく楽しみだったけど、今度の旅はやる気がない。チャリの時はぜんぜん寂しさなんて感じなかったし、何もない所でのひとりぼっちにも慣れていたのに。ケアンズでの一ヶ月が楽しすぎたんだろう。

バイクを走らせていると、途中でマフラーがはずれた。故障したので、ケアンズに帰ろうかと思った。ケアンズに戻っても、みんな暖かく迎えてくれるだろう。でもパース、アデレードに戻って、やることを終わらせてからまた戻ろう。

ひたすらバイクを走らせた。夕日が沈んで、ちょっと薄暗くなってきて、自転車でポートヘッドランドからカラッサまで逆走しているときを思い出した。景色も気持ちもその時と同じだ。あの時も暗くなりかけて走れなくなるまで走ったんだ。

今日は9時30分頃まで走り続けた。マウントアイザには着かなかった。
今回使用する調理器具はガスではなく、アルコールを使用するものを使うことにしたが、アルコールのやつは風に弱い事を知った。火事になるかと思った。

リッチモンドから50キロぐらい先のレストエリアで野宿


10月22日(木)


今日の朝、マフラーを見て驚いた。左側のマフラーがまっぷたつに割れているではないか!とりあえずそのまま走り続け、次の町、ジュリアクリークで修理を頼んだが、無理だと断られた。仕方なく、無理とは思いながらもマフラー修理用のパテとテープを買い、針金で引っ張りながら、テープを巻いて、パテでうまいこと応急処置ができた。

マウントアイザでパーツを探したが、どこにも売ってなく、届けてもらうと次の月曜か金曜になるのでやめた。
タウンズビルのライジングサン・ホンダに頼めば明日に届くかもしれないと店の人に言われたので、電話してみるとやはり月曜か金曜になると言われたので、アリススプリングスのGPO(中央郵便局)宛てに送ってくれと言った。しかし、電話の相手は「GPOって何?アリススプリングスのつづりは?」と聞いてくる。発音が悪かったとしても、GPOぐらいは伝わるはずだ。相手の声は笑っていたので、からかわれているかのように思えてきた。何度言っても分からないので「GPOはポストオフィスだ!」とどなって電話を切った。

今日はマウントアイザのバッパーに泊まる予定が、受付がいつまでたっても開かない。電話をしても、ベルをならしても誰も来ないので、結局マウントアイザを去り、夜の10時まで走り続けた。途中CamoowealのロードハウスでE-mailをした。

ここまですごく遠く感じた。夜は、やっぱり危険を感じる。今日はカンガルーが4回も横切った。でも、ポートヘッドランドからカラッサへ戻った時みたいに、早くパースに戻って、またケアンズに帰りたいと思うと急いでしまう。チャリの時みたいに食事する時間も惜しんで急いでしまう。今日も結局、朝、昼抜きでCamoowealでハンバーガーを食っただけだ。

今日はもっと走ろうと思ったけど、おばさんに「どこまで行くの?」と心配されたので、今日はBerkley roadhouseに泊まることにした。
マフラーは、なんとかBarkley Roadhouseまでもった。

BERKLEY ROADHOUSEのキャラバンパークに宿泊

10月23日(金)

今日は時速110キロでぶっ飛ばした。
途中、3時00分頃、ものすごい睡魔に襲われる。よろよろしながらバイクを操縦し、このままでは死ぬと思い、道路脇にバイクを止め、バイクに座ったまま仮眠した。そして、再び出発し、アリスに向かった。けつが痛い。そして、なんだか疲れ気味。

途中、道路脇にデビルズマーブルが現れた。国道からも見れるとは思ってなかったので驚いた。

デビルズマーブル 
写真提供せっさん、りえちゃん
 

なんとかアリスに着いたが、マフラーがぼろぼろ。運良く修理してくれる所が見つかった。
アリスでは直子のお勧めのELKE'Sと言うバッパーに泊まったが、だまされた。町からかなり遠い。遠すぎる。ダーウィンのYHAも良いと聞いていて広すぎるし、19ドルだし。ダーウィンのYHAはカナナラから予約して行ったのに。まただまされた。でも、ここで、おれをケアンズで見たという日本人とであった。緑の頭でわかったらしい。

ジーンズのひざの穴がだんだん広がってきている。縦にも裂け始めている。

エアーズロックには登らない。なぜならカナナラで聞きたくない事を聞いてしまったからだ。エアーズロックはアボリジニーの聖地で、エアーズロックに登っている人がよく転落して聖地で人が死ぬことがアボリジニ達にとっては好ましくない事だ。その話をしてくれた女の子は、他の外人ツアー客に、「登らないの?」と聞いたところ、「アボリジニが登らないでほしいって言っているのに、なんで登るの?」と言われたらしい。これを聞いたら登れない。でも登りたい。他に登っている人に「あなたは聖地を汚したのですよ」と言いたい訳でもない。しかし、アボには何回も助けられているし、ビールももらったし、どうしても登りたいわけではないので登らないことにしよう。次にエアーズロックに会うときは、皆が見たことのない位置、空から見てみたい。それでもやっぱり巨大な岩目の前にすると上りたい気持ちが押さえられない。こんな感動する光景を誰が"オーストラリアの3大がっかり”と言ったのだろう?

白人が皆でエアーズロックに登りましょうツアーを作っておいて、今となっては、「エアーズロックに登るのは日本人だけよ」と言っているに違いないと決めつけるのは良くないが、イギリスから、アボの土地にやってきて、アボの土地を奪っておいて、「アボへの援助を中止しろ!」とか、オーストラリア人も元々外の人間のくせに「アジア人追放」と言っている政治家もいたりする。良いアボリジニはたくさんいます。町で酔っ払っているアボリジニだけを見てアボリジニを判断しないようにしましょう。

ケアンズを出発してから3日目で、まだ3食しか食べてない。今日は、ウールワースのチキン$2。昨日は、ハンバーガー$3.90。おとといはインスタントの米。

アリススプリングスのELKE'S バックパッカーズに宿泊


10月24日(土)


ここは、朝食がついている。とりあえず、パンを4枚と紅茶を頂き、MILOも頂いて、まだ8時13分。もう一度朝食を食べに行った。昼の分のパンも頂いた。質素なピザハットみたいなもんだ。つまり、食い放題。宿泊費$13分、元をとらなくては。

バイク今日なおってくれよー。バイクが今日なおらなかったら、MELANKA(他の宿)に移動する。

最終的に、パン6枚を昼食にすることに成功。そして、バイクはなおり、今はエアーズロックにいる。エアーズロックは15ドルの入園料を取られたけど、今日は天気が悪いので登れない。やっぱり、目の前で見ると圧倒され、登らずにはいられない。すごい岩だ。たいした事ないと聞いていたけど、そんなことは無い。大自然を感じる。何もないところにドーンとそびえる巨大な岩。この岩の頂上から360度の大平原を見渡したい。やっぱり明日登りたい。

バイクは調子よく走っているが、今度は後ろのステップがはずれるなど、だんだんとネジがはずれていく。そして、今日はチェーンのスプレーオイルが流出する事故発生!荷物がベトベト。あー。
チェーンも伸びている。もうこのバイクだめかも。バイクに関する知識は殆どないと言ってもよいくらい無い。走らせることができるのみ。車と同じ所はなんとなくわかるけど、チェーンとか、よくわからない。

手紙を書いていると、突然鼻血が出てきた。疲れているのかも。
ここまでの旅でわかったことは、バスまたは電車が一番と言うことだ。何の心配もいらない。そして、次にリフトで、3位はチャリ。チャリはしんどいけど、壊れてもチャリごとヒッチできるし、国道からはずれたくてもチャリでは難しいので、あまり不安無し。バイクは自分には向かない。はやいけど、怖い、寒い、なおせない。

電話をかけに行ったら蟻がすごい。

エアーズロックのキャラバンバンパークに泊まる


10月25日(日)

今日は、エアーズロックから登る朝日を見るために早起きをした。朝の4時30分に電話ボックスを見たら、昨日の蟻たちがまだ働いていた。週7日24時間働いているのだろうか。蟻にはなりたくない。

今日は少し曇っているので朝日は見れないと判断し、さっそく聖地を登らせて頂いた。しかし、カナナラで聞いた話をみつよさんの友達のしのぶさんにしてしまって、しのぶさんに、「それを聞いたら私も登れない」と言わせてしまった事が気になる。あんなに登るのを良くないことだと思っていたのに登ってしまった。アボリジニにはたくさん助けてもらったのに聖地に登ってごめんなさい。

5時半頃から登り始め、一番のりで頂上に着いた。6時18分岩頂到着。別に競争していた訳ではないんだけど、先に登った人が、皆途中で休憩しているので、どんどん追い越して知らないうちに一番になった。ちょっと気分がいい。
頂上からは見る景色は最高だった。そして、エアーズロックに登るのは日本人ばかりだと聞いていたが、最初のうちは、日本人は数えるほどで、のこりの50人くらいは他の国の人だった。

頂上から降りてくる時、なんと!下からひろが登ってきた!まさか、岩の上で友達と再会するとは。
岩を降りて行く時に思ったが、この岩の傾斜はかなりすごい。転落して死ぬ人がいるというのもわかる。

今日はパースまで近道するために、舗装されていない道を抜けようとしたが、土がだんだん深くなってきて、横すべりする。500メートルぐらい行ったところで、このバイクでこのまま行ったら死ぬかもしれないという事に気がついてよかった。とりあえず引き返して、国道を行くことにした。


カトウひろとの再会。遠くにうっすら見えるのは風の谷のある所。
ネジはどんどんはずれて行く。今日は、右のステップのネジがはずれた。これまでに、マフラーのネジ、後ろのステップのネジ、左のステップのネジ、右のステップのネジがはずれた。次はどのこネジ?大丈夫かよ、このバイク。

走っても走っても道はどこまでも続く。途中、牛が道をふさいだ。ぶつかったら大変。
今日はCoorber Pedy(地下に町がある)まで走る。ちょっと遠かったので、夜の11時に到着した。町の見学もしたかったが、先を急いだ。また今度ゆっくり来たい。そして、おそい時間から宿に泊まるのももったいないので、近くで野宿できる場所をさがしたが、見つからず、またバイクを走らせて夜中の1時30分まで走った。寒くて寒くて、寒さに耐えられず、結局道路脇にバイクを止め、暗闇のなかでテントも張れず、マットを敷き、寝袋に入って寝た。始めてのテントなしの野宿だ。星は綺麗だけど、顔が寒い。

寝床

10月26日(月)

朝、荷物を積んでいると、ライダーが止まってくれ、チェーンを縮めてくれた。女か男かわからない人だった。なるほど。チェーンの縮め方を学習した。
そして、快調に飛ばしていると、突然エンジンが停止した。きたー!と思いながら止めて見てみると、やられている。オイルが大量に漏れている。エンジンは再びかかったので良かったけど、このまま走ったら本当にやばいので、助けを待ちながら日記を書いている。そしたら、ラッキーにもバイクの整備士の車が止まってくれて、バイクを木の後ろに隠して、オイルを買いに町まで乗せていってくれることになったが、またここに戻ってくるのがめんどくさくなったらしく、「町が近くだから、牽引していこう」ということになった。
彼が言うには、「ブレーキをうまく使って、ロープをたるませるな、さもないと,ロープが前輪にからまってこけてしまう」とのこと。バイクの牽引なんて聞いたことがない。バイクで引っ張られるなんて始めてだ。よろよろしながらもなんとか引っ張られながら走った。そして、ガソリンスタンドに着くかと思った瞬間、車がスローダウンした。ブレーキランプを見て反応して、自分のブレーキもかけるまでにすでにロープがたるんでいる。そして、ブレーキをかけ、たるみはなくなるが、その瞬間今度は一機に引っ張られる。そして、またたるむ。を繰り返している間にバランスを崩し時速40キロぐらいまでスローダウンしたところで転倒。バックパックは破れるわ、ひざ、ひじ、手をすりむいて、腰を打って、けつに穴があくわ、最悪。ガソリンスタンドには、オーストラリア軍がいて応急処置セットをくれた。

オイルを入れて、エンジンはかかるが、漏れは激しい。牽引してくれたバイクの整備士はどこから漏れているか教えてくれただけで行ってしまった。どこから漏れているかなんか見りゃわかるよ。
運良く、偶然にも後ろを走っていた車が自分の行き先と同じ方向の町、PORT AUGUSTAまでバイクを取りに行くところで、バイクを乗せるためのからのトレーラーをつなげていた。なんて偶然なんだろう。そして、その人の車に乗せてもらった。
途中、チェーンを縮めてくれたライダーを追い越した。挨拶をしたら、えっ、どうしたの?というような顔をしていた。

無事、ポートオーガスタに着き、バイクを修理中。そうそう、乗せてきてくれた人はアボリジニ。またアボに助けられた。
バイク屋でバッパーの場所を教えてもらい、PAMPAS MOTELという所にいった。すごく綺麗なところなので、オーナーに、「ここはバッパーですか?」と聞いたら、そうだと言う。しかし、シングルルームのみで相部屋はなく、値段も$20と高いが、部屋も広いし、テレビ、エアコン、洗面台、冷蔵庫が付いていてとても落ち着く。さすがにトイレ、シャワーは共同なものの、部屋にはタオルが置いてあるし、階段のところもカーテンとかも飾った感じて豪華だ。外から見たら汚いホテルだけど、中はすごく豪華だ。ホテルと思ってしまったら、$60ぐらいのあまり高くないホテルだろうけど、バッパーだと思ったらとてもゴージャス。花が飾ってあったりもする。


助けてくれたアボリジニーと一緒に

買い物に出かけると、途中、何回も会った日本人のカップルとであった。偶然にも同じ所にご宿泊。この人達とはまた会うような気がしてたんだけど。ご飯を作ってくれた。いろいろ話をしたら、マサヒトのことを知っていた。

PORT AUGUSTAのPAMPAS MOTELに宿泊


10月27日(火)


バイクはなおったものの、エンジンがかかりにくい。たぶんスターターだろう。

昨日の転倒で服は破れているし、今日は、震えが止まらない。ここまで南にくると寒くて夜はもう走れない。
今日はなんとかCEDUNAにたどり着いた。そして、前回リフトの時に泊まったキャラバンパークのキャビン$25に泊まった。今日は髪を黒に染めた。久々の黒髪。
今回もエスペランスは行かずにパースへ直行する。

CEDUNAのキャラバンパークに宿泊

10月28日(水)

今日は上着を買おうと思ったが、どこにも売ってない。そのまま走りつづけていたら、雨は降ってくるし、寒くて死にそう。今日は雨の中テントを張っている。でも、うまい具合にやねの付いているところを発見し、なんとか雨をよけている。ここは、前回、アデレードからパースにリフトで行った時にマイクのバースデーパーティーをした所だ。とりあえず、持っている服を全部着ている。本当に寒い。

かなりあせった。今、米を火から降ろそうとしたらアルコールランプが倒れ、アルコールが流出し、それに火が付いた。地面が燃えた。火事になるかとおもった。
しかし、ここのキャラパーは、ブッシュをただ切り開いただけみたいなのに、$9もとられた。
バイクを走らせている時、手が寒いので55セントでゴム手袋を買ったのに、Sサイズを買ってしまって手が入らなくて使えない。

MADURAのキャラバンパークに宿泊

10月29日(木)

今日は、写真家でチャリダーでもある坂口さんと再会した。パースからダーウィンに向けて自転車をこいでいる時に一度会っている。バイクをくれると言われたらすぐに取りかえると言っていた。

順調にバイクを走らせていると、追い越し禁止の、カーブで先が見えない所で、反対斜線から来たトラックが前のトラックを追い越そうとして思いっきり正面衝突しそうになった。つまり、カーブの先に突然トラックが2台並んで現れたのでものすごく驚いた。走っている道路はハイウェイなので、自分も100キロぐらい出してるし、トラックも80キロぐらいは出していたでしょう。トラックはバイクが見えていないのか、突進してきた。自分は横の砂利道によけたが、同時にトラックもバイクに気付いたらしく、同じ方へよけてきたので、ブレーキをかけたら砂利ですべって転倒した。バイクをすぐに起こそうとしたが積んでいる荷物が重くてなかなか起こせなかった。トラックは舗装されている側に戻り、スローダウンしたので止まって様子を見に来るかと思ったら、そのまま謝りもせずに行ってしまった。心臓のドキドキが止まらない。今まで生きてきた中で一番危なかった出来事かもしれない。あいにく怪我はなかったが、トラックやろうに対する怒りはおさまらない。なんとかバイクを起こして再出発しようとしたら、エンジンはかかるが、なぜかクラッチがつながらなくて走り出せない。もう暗くなってきて、どこが悪いか見てもわからないし、ヒッチハイクを試みたけどこの暗闇の中では誰も気付いてくれない。とりあえず、この時間じゃどこへ行っても修理屋はやってないし、木の裏にテントを張って寝た。


10月30日(金)


朝になってからバイクを見てみたら、チェーンが切れかけていた。その部分が引っかかっていて発進できなかったと思われる。なんとか引っかかっている部分を引っ込めてチェーンが切れないようにゆっくり走った。途中の町でチェーンを取り替えてもらい、それも、バイクのチェーンがなくて、芝刈り機かなんかのチェーンを取りつけた。

やっとパースが見えてきた。リフトで来た時と同じ景色だ。まさかこんなにトラブルがあるとは思わなかったが無事パースに到着することができた。
とりあえず穴だらけのジーンズしか持っていないので、町に新しいのを買いに行く。チャリの旅に出るまえから、まだパースにいる友達もいた。なつかしい。

その後、数週間パースに滞在し、グレハンでアデレードを経由してケアンズに戻り、バリへと旅だった。

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