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西オーストラリア、パース
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とりあえず、最初に用意したのは時間のかかる警察からの犯罪証明書。領事館へ出向き、指10本の指紋を取られ、それを日本の警察へ郵送、結果が領事館へ戻ってくるまでに約2ヶ月かかった。封筒の中には日本語と英語の証明書が入っているらしいが、無犯罪証明の封筒は開けると無効になるので要注意。封がされたまま移民局へ送らなくてはいけない。料金は無料、または税金。それとは別に、またオーストラリアの警察からも無犯罪証明が必要となる。これは、料金がいくらかかかるが2週間ぐらいで手に入る。カタツムリに注意。自分の書類はたまたま1週間ほど出かけている時に届いてしまい、家の人が誰も手紙とらないからカタツムリに食われて穴だらけになってしまった。運良く文字のところは食われずにすんで、コピーをしたら問題ない。送るのはコピーのほうだからよかった。

英語力を証明するのに本当はIELTSという10点満点の英語力テストで最低5点。できれば6点以上を取りたい。5点と6点の違いは永住権のポイントテストに大きく影響する。永住権のポイントテストは5点区切りなので、その5点がポイントテストの合格、不合格の決め手になることがある。年齢も同じで、20代と30代では5点違う。それも合格、不合格の決め手となることがあるので、たったの5点でも大変貴重なポイントとなる。申請の情報を読んでいると、post secondary, 上級の第二教育とでも訳せるのか、高校以上のことか知らないが、まあとにかく大学は含まれる、授業を全て英語で受けていた者は英語の試験が免除されることもあると書いてあった。自分の場合はもちろん、大学の授業は全て英語、アルバイトで飛行機の操縦も英語で大学生に教えていたので、自信をもって英語のテストは受けなかった。その代わり、オーストラリア人相手に飛行教官をしていることを証明するため、パイロットログブックという、飛行を記録する本のコピーを用意した。

次に卒業証明のコピー。卒業式は次の年の4月だったので、卒業証書は手に入らない代わりに、通知表のコピーを用意。通知表(Academic Record)には、コース終了日がのっているのでそれで構わない。

あとは、オーストラリアにいる期間は健康保険に加入していなければならないので、健康保険に加入した。大学卒業後は観光客と同じ扱いなので月に130ドルぐらいかかり、ずっと払いつづけていることを証明する為に支払いは自動引き落とし。そして、それを証明するためのレシートや保険カードなどのコピーを用意。
そして、コピーはすべてJustice of the Peace(治安判事)やその他の決められた人に原本と相違ない事を証明するサインをしてもらわないくてはいけないので、その人のところへ行って証明してもらった。

健康診断は3度も失敗してしまった。まず、結核などを検査するためにレントゲンを決められた病院で撮り、それをまた他の決められた病院に持って行き、レントゲンも含め身体検査をする。間違っても近所の病院へ行ってはいけない。もう一度決められた病院でやり直すことになります。
身体検査の予約をして病院まで行くと、大変なことに気付いてしまった。レントゲン写真を家に忘れてきてしまった。予約をキャンセルするしかなかった。そして2回目の予約、今度はパスポート(身分証明として必要)を忘れてしまった。彼女のマキにレントゲン写真を持たせて先に病院に行って前でまっててくれといって、走って車に戻り、危険ではない程度に車で急いで高い駐車場に車を止め、走って病院の前に、予約の15分後れで到着したものの、マキがどこにもいない。携帯電話も持ってないしどうしようと、いらだちを隠せないでいると、何が起こったのか気付いてしまった。たぶんレントゲンを撮った病院の方へ行ってしまったんだな。しょうがない。今回もまたキャンセルか。病院の人に訳を説明しても聞いてくれない。もうあなたはこれでキャンセル2回目ね、次またキャンセルされたらキャンセル料をもらいますといわれながら、諦めるしかなかった。年末だったので来年まで待たなければいけなくなった。うまく物事が進まないことに少しいらだった。そして迎えた3回目。今度はすべて用意できていると思ったらインターネットからプリントアウトした健康診断の申請書のページ1枚が抜けている。そこの病院には申請書は置いていない。まったく、専門でやってるんだから申請書ぐらい置いておけよと思いながら、この病院とは波長が合わないなあと、ため息をつくしかなかった。しかし、なんとか病院のコンピューターからインターネットにつなげて申請用紙をプリントアウトしてもらうことができ、なんとか問題クリア。いやー、今こうやって、思い返しながら考えると、身体検査が一番の難関だったように思える。

用意する物は申請用紙の最後のほうのページにチェックリストが載っているのでそろい忘れることはないでしょう。ただ、それらの書類をどのような形で用意したらいいのかということが問題で、それもインフォメーションブックに全部書いてあるので難しいことなんてない。
あとは、オーストラリア人の友達がいれば、自分の人格などについての手紙を書いてもらおう。とにかくオーストラリアに害の無い人間だということをできる限りアピールする。また、できれば、オーストラリアに利益のある人間だということをアピール。

永住権の申請は郵送の受け付けのみで、アデレードの移民局でしかやってくれない。なので、申請書類をバインダーにとじて、簡単な手紙と$1745もの小切手を添えて郵送完了。いじわるされなければ永住権は取れるだろうと思いながらも書面でもらうまでは安心できない。まあ、待つしかない。

だまって待つ事約2ヶ月、移民局から手紙がきた。と思ったらただの申請受理確認の手紙と申請料の領収書だった。
そしてまた待つ事約2ヶ月手紙が。今回は結果報告だろうとドキドキしながら封を開けると、追加書類を請求する手紙だった。追加で請求された書類は出生証明書。

申請用紙のチェックリストに出生証明書という欄もあったのだが、そんなもん誕生日が証明できればいいんだろうと考えと、パスポートを申請するときにすでに証明しているんだから、パスポートのコピーでいいだろうと思ってちゃんとした出生証明書は送らなかった。そしたらやっぱり請求された。
直ちに日本へ電話。出生証明書というのについて区に問い合わせたが、一般人には出せないらしい。戸籍謄本に出生地などのすべての情報が載っているということで、それでいいだろうということにした。移民局からの手紙でも、出生証明書が無い国はそれに相当するものと書いてあったので戸籍謄本でやってみた。そして戸籍謄本の写しが日本へ到着。領事館へ行き、みんなの払っている税金とは別にいくらか料金を取られ翻訳してもらった。それをまた、全部コピーしてコピーと原本が相違ないことを証明してもらって移民局へ郵送。このとき、戸籍謄本の写しはすでにコピーなので、区長に証明されているということを説明する手紙を添えてそれをそのまま送った。そして待つことたったの一週間程度で永住権取得の通知を受けた。いやー、長い道のりだった。

はあ。これでマレーシアから帰ってきても空港で移民監理官に別室につれていかれることは無い。くわしくはこちら。

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