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月刊オーストラリア探検 (西編) 2006年7月号

今日から始まりました。オーストラリア探検。あまり日本人に知られていないオーストラリアを探検して紹介したいと思います。第一回目は日本とも関係のあるコサックの町で草に埋もれて忘れられたお墓を発見しました。2006年8月22日、図書館にて役所の登録簿の写しをしらべたところ、1894年から1904年までの間に35名以上の日本人がコサック周辺で生活していたようです。1904年以降の資料も調査中なので、まだまだいろんな情報が出てきそうです。

2006年7月2日、オーストラリア北西のコサック(Cossack)と言う町に探検しに行ってきました。コサックは1950年代に放棄されたゴーストタウン。と言っても町の歴史を売りに小さな観光業が成り立っているようです。

歴史ある建物の中には博物館、アートギャラリー、カフェなどがあり、なんとバックパッカーズまでありました。人も日曜だったからか、ゴーストタウンにしては、けっこう見かけました。

実は、この町は日本の歴史でもあり、日本と深く関係しているのです。ライト兄弟が飛行機を飛ばしたのは1903年、その15年前の1888年に村松さんが真珠貝採取業のために、はるばる日本からコサックに渡ってきたのです。今なら飛行機で簡単にいけるけど(と言っても飛行機を乗り継ぎいで、車で約30分)、まだ原動機つき飛行機のない時代にこんな田舎に渡ってきたとは、冒険家だなあ。村松さんは第二次世界大戦に一度帰国し、奥さんは戦後またコサックに戻り、1956年頃お亡くなりになられたそうです。村松さんの家の跡地にあるインフォメーションボードには、村松夫妻の写真が載っています。

真珠貝採取業の歴史についてくるものは、ダイバーの潜水病による死。ブルームと同じく、ここコサックにも日本人墓地がありました。村松さんのお父さん、作太郎さんもここのお墓で眠っています。9つあるお墓のうち、作太郎さんだけが53歳だけで、あとの多くは19歳を含める若い人たち。ふたつのお墓は、誰が入っているか不明で、草に埋もれてかわいそうだったので、とりあえず草むしりだけして、9つのお墓にお水をあげて帰ってきました。インフォメーションのボードには、8つのお墓と記念碑がありますと書いてありますが、実際は9つのお墓と記念碑があります。また、図書館で昔の役所の登録簿を調べたところ、35名以上の日本人が亡くなっています。どうやら9つのお墓は戦前からなんとか壊れずに残っているだけで、眠っているのは9人どころではないようです。

お墓参りのあとは、セトラーズ ビーチ (Settler's Beach)へ。セトラーズビーチは、他のオーストラリアの綺麗すぎるぐらい綺麗なビーチには劣るけど、まあ、かろうじて綺麗なビーチの仲間に入るかな。波も無く、小さな子供でも安全に泳げそうなビーチ(鮫が出なければ)。

ビーチで水際を散歩した後は、町へ戻って、コサック唯一と思われるカフェでアイスを買って、釣り人の様子を伺って帰宅。カニが取れていました。

コサックの歴史

コサックには、1863年にウォルター、パドブリー(Walter Padbury)が上陸。彼の船の名前からコサックと名付けられました。1870年代に80隻もの船が真珠貝採取業に関わっていたそうです。1877年に正式に町となり、1880年代は真珠貝採取業とゴールドラッシュが重なり、コサックの町が反映したそうで、1880年には人口299人、1894年には400人を超えたそうですが、今は草むらとなったコサックの通りに、かつては日本のお店や中華街もあったとは想像がつきません。やがて真珠貝採取業はブルーム(コサックから約800キロ北の町)が中心となり、1910年ごろから町は崩壊しはじめました。村松さんは戦後、コサックに戻り、真珠貝採取業を復活させようと試みましたが残念ながら成功せず、1950年代にコサックの町は放棄されゴーストタウンとなったそうです。

お墓が残っている方は、田中さん(1890年6月26日、享年38歳、Willie号の乗組員)、中田かいちさん(4月24日、年不明、享年19歳、愛媛県出身)、いしはらいわきちさん(1913年8月16日、享年49歳、和歌山県こうら出身)、なんちくまきちさん(1914年7月2日、享年29歳、紀伊半島、串本出身)、ふくもとてつきちさん(1914年9月18日、享年36歳、愛知県か愛媛出身)、なびきせいごろうさん(1915年9月10日、享年24歳、紀伊半島明神出身)、村松作太郎さん(1898年2月12日、享年53歳、静岡県出身)、その他、2名ほど、文字の彫ってある墓石ではなく、石がおいてあるだけのお墓なので、誰が眠っているかは不明。

参考文献:コサックの観光案内パンフレット。

他の亡くなった方については、忘れられた日本人のページで調査中です。死因で驚いたのは、脚気(かっけ)が死因の方が多いことです。ビタミンB欠乏の為に足がむくんだりしびれたりして、心臓までも犯され死にいたるそうで、ひざの下をたたくだけの何かだと思っていた現代の人間にとっては驚きです。

次回はオーストラリアのクラスA保護区のバロウ島(Barrow Island)を探検。たぶん、働いている人だけで、一般人は行けません。

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