パイロットへの道のり
目指せエアラインパイロット
月刊オーストラリア探検
こんなの知ってた?
自転車4600キロ旅行
パースからダーウィン
リンクとサイトマップ
見たいページへ直行
大学留学
留学体験記
永住権
永住権取得体験記
パース
西オーストラリア、パース
メール
お問い合わせはこちらまで

専攻の航空科学に関しては、すでに慣れていたので大した問題もなく終わったが、副専攻のコンピューターがくせものだった。コンピューターに関してはある程度は知っていたが、職に就けるほどの知識はなかった。大学では初歩から教えてくれるのだが、途中からコンピュータに変えたのでそのコンピューターの紹介みたいな初歩の科目の生徒数がいっぱいで、普通の科目をとらなくてはいけなかった。それでも一年生の科目なので、終わってみればそんなに難しくはなかったが、最初の2回は教授がアメリカのセミナーに行っていて、他の人が授業を受け持っていた。その人の声がまたききとりづらく、スライドもどんどん次へと進み、見てる暇もないし、ノートを取っている暇も無い。テープに録音して何回も聞いたが何言ってるのかさっぱりわからない。せめてノートだけでもとれれば家で自分で勉強できるのに。あとでスライドが大学のコンピューターからプリントできるのを知ったが、その先生の評判は良くなかった。オーストラリアは多民族国家で教授もポーランド人がいたり、インド人がいたり、ドイツ人がいたりする。ポーランド人の教授は眠くなるしゃべり方で、授業をさぼったことは一度もなかったが、ほとんど毎回寝ていた。そんな理由からどの毎回、学期の中間ぐらいまでは、何がなんだかさっぱりわからない。何がわからないのかもわからず、質問もできないままの日々が過ぎていくのだが、なぜか毎回焦るのか、1から勉強しなおし、なんとか提出物の提出期限と期末テストには間に合ってしまう。焦るのはきらいだけど、焦るとなんとかなってしまう。聞くのをためらうような、本当に初歩的な質問もできてしまうからかもしれない。朝6時に大学へ行き、コンピュータールームでピザを食べて、夜の2時ぐらいまでいたこともあった。

そんな感じで大したドラマもなく、全ての教科の平均点72.2点で卒業できることになりました。そして、またこれで終わったわけでは無く、まだエアラインパイロットになるための航空局の試験が残っています。そして、航空科学の学士号を持っていても職が見付かるほど簡単な業種ではなく、自転車の旅行で言ったらまだまだカラッサあたりだろう。先はまだ長い。

2003年4月6日、卒業式
卒業式は学課によって日が違う。今日は理科系学課の卒業式約500名。パースコンサートホールでバンドなどのちょっとしたパフォーマンスを交えて、学長の話しが始まって、その後にひとりひとりステージを歩いて学長に握手して卒業証書をもらう、相変わらずの日本と変わらぬ内容の卒業しきだった。
卒業式には学士のマントを着なくてはいけなくてレンタルで60ドルもとられるし、ステージでの写真を買ったり、結構かねかかった。まあでも一生に一度の行事だからまあいいか。卒業証書を入れる額とかも売ってたけど一番安いので60ドルもするので買えなかった。みんな大学生相手に大もうけ。
驚くほどの数のアジア人の卒業生がいたが、日本人はたったの3人。航空学課はたったの5人。クラスには40人ぐらいの生徒はいても、航空学課はパイロットの免許、つまり、実技も終了しないと卒業させてもらえないので少人数。大学の授業が終わった後も何年も卒業できない人も多い。
海外の卒業式でおなじみの四角い帽子は残念ながら大学院を卒業しなくてはかぶれません。
まあまあ楽しい卒業式だったけど、ひとつ心残りだったのは、席に置いておいたクラッカーを後ろの人に取られたこと。ひとのクラッカーとるなよ。まあでもハッピーだからいいか。
学生代表のおばさんは子供が4人ぐらいいる人で成績も優秀で、忙しい仲すごく勉強頑張っていたようだ。みんなの言いたいことをいろいろ言ってくれた。オーストラリアでは年齢はあまり気にしない。大学におじさん、おばさん多いし、何歳から何を始めても遅くないと思える国だとあらためて実感した。
オーストラリアで永住できたら授業料が安くなるのでまたなんかパートタイムで勉強するか。

Copyright(C)Since 1999 株式会社ベイン Vane Co. Ltd. All Rights Reserved.