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多々良濱路 (たたら はまじ) 
本名:森本房枝 (旧姓:草間房枝)


出演映画:http://www.jmdb.ne.jp/person/p0247650.htm

1921年(大正10年10月23日生まれ)
2000年(平成12年5月19日、病没、享年77歳)
父、草間實21歳、母、き里16歳の時の子供である。

(以下の話は、多々良濱路の妹、光枝さんによるものです。)

房枝は長く一人娘として育ち、跡継ぎ候補として次女光枝1939年(昭和14年8月20日生まれ)が誕生して、結婚することが出来るのである。
続いて三女和枝が1940年(昭和15年8月17日生まれ)と続き、「光枝はひょっとして房枝の子供ではないか」等と噂されたことが、まわりの憶測丈だったと分かるのである。

そして、1942年、房枝に長男宏一郎が産まれる。



昭和15年ごろ、草間房枝、訓練機の前で



1956年、父、が新東宝にカムバックする頃、社長の大倉貢が房枝のことを良く憶えていて、是非当社にと誘いがあった。
やはり女優不足で、看板女優探しに四苦八苦だったのである。
この時、房枝には三人の男の子があった。この時初めての様に女優なるものに目覚めた様ではあったが、夫の久志がやんわり反対したのであきらめた様である。

又、の長女房枝は父について、13、4歳から撮影所に出入りしていて、身体も大きく、又、顔立ちに全くなんの難もない(変なところのない)、言い替えれば美貌であったので、自然に女優への道が開かれたが、本人には何の野心もなく、おっとりとしたものであった。

「鞍馬天狗」で売った、嵐實寿郎もプロダクションを立ち上げて看板女優が少ないせいもあり、ちょくちょくと引っ張りだされていた。
嵐實寿郎の方に姪だと言う森光子が居たが、房枝の方が美人でもあり、の娘と言うネームバリュウもあり、森光子と仲良くおみきどっくりの様な関係でもあったので、頼みやすかったものらしい。

房枝は、「の娘」と、知る人は知る存在だったが、芸名は多々良はまじと名乗ったり、母方の姓の市村を使ったりしていた。後年、大映映画会社の社長となった永田雅一も房枝が15、6歳の頃、やはり女優不足に悩み、再三、再四、河原町の家に女優に、と足を運んでいた。
当時売り出し中の山田五十鈴以上の女優にしてみせる約束をすると日参し、母親である、き里に頼み込んでいたが、本人にはその気は全くなく、母親の経営するハンブルグに通う様に来ていた三重県久居町出身の京大生と、他(ハタ)で見ると意外の程にあっさりと学生結婚をしてしまった。

学徒出陣(海軍の白の制服の夫、森本久志)と房枝が車から降り立つと、「何家の宮様か」と、思ったと言われる位の若い夫婦が誕生したものである。

この房枝と19年も年齢差のある妹二人は、年子である(光枝と和枝)。

三女である和枝は13歳の時、父の出身である新国劇の舞台に大阪、名古屋に出演。辰巳柳太朗の「月形半平太」の舞妓、ひな菊役である。
舞台での月形半平太には、三人の女性がからむ。芸者「染八」と「梅松」と舞妓の「ひな菊」である。
染八と梅松が半平太を取り合うのに、ひな菊は幼くあどけなく華やかに花を添える。

半平太の名セリフ、「春雨じゃ、ぬれて行こう」と言う幕切れの前に、ひな菊がお篭に乗りつつ、「月さま、雨が......」と言う。雨が降ってきましたよ...の意で
「月さま、雨が......」と言うと、月形が一呼吸置いて、「春雨じゃ!ぬれてゆこう」と言うのである。
和枝は中学生で、今ならタクシーのような篭(かご)に乗りたがっていたので、2ヶ月あまりも篭に乗れたことをとても喜んでいた。



三女の和枝(ひな菊役)

ひな菊 「月さま、雨が......」
月形 「春雨じゃ!ぬれてゆこう」


新国劇側から、沢田正二郎の最後の妻でもあった久松喜世子に、「和枝ちゃん、このまま新国劇に残らない?女優さんにならない?」と強く勧められたが、未だ中学生になったばかりでもあり、又、新国劇は男の劇団でもあったため、女優は育ちにくかったこともあったので保留となった。

和枝には、その何年も前にも、映画「宗像姉妹」の子役にも出演依頼があったのだが、長く伸ばしていた髪を、「幼さを出すためにオカッパ頭に、髪を切ってくれ」と言われて、髪を切るのが嫌だと断ってしまった。

私、光枝は小さい頃は病気の問屋さんで、今もある、京都河原町通りの薬局佐々浪さんに置いてある幼児用の薬は、草間さんの家には全部揃っている」と言わしめる位の程で、学生時代に合計4年間もの入院生活を送りました。小学校の頃から本の虫、近所の本屋さんにも、子供の本の棚は全部読んでいると、本屋さんのお墨付きをもらっていました。