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マレーシア

このページはマレーシア観光を紹介するページではなくて、オーストラリアのビザ取得に苦闘した時の体験談です。

当時、オーストラリアではETASというものが出た頃で、数千円払って手続きしてもらえば簡単にオーストラリアへ行くことができた。そして、パイロットとしての職を探す為にオーストラリアへ渡り、ETASで滞在できる3ヶ月の期間が迫っていた。永住権の取得を本気で考えていたので、IELTS(英語力テスト)で良い点を取るために無い金を出して英語学校へ通った。その当時、貯金残高約1300ドル。まだ日本で稼いだ金が残っていた。そして、学費約500ドル払って残った金はたったの800ドルぐらい。まあ、しょうがない。永住権が取れればこっちのもんだ。問題はビザ。一度日本へ帰っても良かったのだが、今帰ってしまうと何しにオーストラリアへきたか分からない。仕事を見つけるまで帰らないぐらいの気持ちで来ていたのでどうしても帰りたくはなかった。

そこで、移民局へ行ってビザの観光ビザの申請をしてみた。そのころ、通っていた英語学校と飛行訓練英語コースというものをつくっていたので、ビジネスの話しがまだ終わってないからビザを延長したいと言った。ところが、観光ビザでビジネスはできないと言われ、結果は失敗に終わった。もちろんビジネスビザがおりる訳が無い。とりあえず一度引きさがって、日を改めてまた行って見た。くそっ、また同じ人だ。人がちがうと結果も違ったりすることもある。

さて、今度考えた理由は、ビジネスの話しをしに来たけれども、フルタイムで会議をしているわけではないし、給料をもらっているわけでもないし、半分観光なんだから観光ビザでいけないのか?と言ってやったけどやっぱりだめだった。くそっ。

さあ、もっといい理由を考えよう。そこで、日を改めて、今度もまた同じ人だったが、今度はもうビジネスできないのわかったから、ビジネスしないで観光して帰るから観光ビザちょうだいよ。って言ったら、しぶしぶ、しょうがないわねえ。本当はいけないのよ。お金はあるの?残高証明できる?といわれ、たったの800ドルしかないのに、答えはもちろん、YES。ねばりにねばったあげくなんとかあと3ヶ月オーストラリアに居れる事となった。

観光ビザでは金が減っていく一方。働く権利がないのに働かしてくれるところは結構ある。しかし、ここで捕まっても今までの努力がもったいないので給料の貰える仕事はしなかった。その代わり、フリーアコモデーションという、旅行者の宿で掃除をする代わりに宿代はただですんだ。これも仕事だという人もいるかもしれないが、給料をもらわない仕事はしてもいいということは移民局に確認済み。そして、減っていく一方のお金はもっていた車を1200ドルで売り払ってまたちょっと小金持ち。

あっという間に3ヶ月が過ぎた。この前のビザに、3ヶ月以上滞在できないという条件を付けられたので今度はオーストラリア国内でビザの延長ができない。そしてみんなの考える手段は国外へ出てすぐ戻る。そこで、一番安い国外は、マレーシアだった。たった5日の旅。普通だけど泊るところも決めないでチケットだけを購入。

サンダルに短パン、小さなリュックのみの、ちょっと近所へ散歩へ出かけるような格好で飛行機へ乗って出発した。金がないので、バスと電車でマレーシア人に混じって空港から町まで行った。クアラルンプールでチャイナタウンの方向をすれちがいのカップルに訪ねると、女の子のほうが、こんな人と話しちゃだめよという感じで彼を引っ張るようにして逃げていってしまった。イスラムの国は女の子に話し掛けるだけでもいけないのか?

ということで、適当に歩いてチャイナタウンへ辿り着いた。そして、宿泊先は汚いバッパ−。日本人がいることを願ったが誰もいない。部屋はイギリス人たちと4人で、どうやって2段ベッドを二つも詰め込んだんだろうと思えるぐらいのせまい部屋。シャワーはもちろん水。まあ、べつに汚いところにはなれているが、話し相手がいないのはつまらない。どうでもいいけど、時間がないのですぐにビザを申請しに行かないと。さっそく明日行こう。

翌日、オーストラリア大使館の場所を調べ、高級ホテルの間を通って大使館へ到着。もちろん、ちょっといい服装で。といっても短パンの変わりにジーンズ、サンダルの変わりにスニーカー、Tシャツの変わりに襟付きのシャツを着ただけ。そして、さっそくビザの申請をすると、受付の第一関門を突破できない。くっそー。はるばるオーストラリアから来たのに。しかたなく一回の図書室で1人で作戦会議。時間をあけてもう一度行くと、あれ、あなたさっきもきたわね。無理だと思うけどと言われながらも第一関門をなんとか突破し、第2の関門に辿り着いた。インド人だ。何人がどうというわけではないが、オーストラリア人以外に審査されるのが納得いかない。英語学校とのビジネスのことを話して、ビジネスETASというものを取得しようと試みたが結果はだめ。とういのは、ビジネスETASは会議などのためのもので、自分はもうすでに何ヶ月もオーストラリアに滞在してたから。じゃあ、観光ビザか観光ETASくれよといってもすでに遅し。オーストラリアで何しようとしてるかわかってるからだめと言われた。シンガポールに行けばよかったかなと思いながらも、大使館を去るしかなかった。まあでもだからといって諦めたわけではない。ETASなんて旅行代理店で取れてしまうのだ。

旅行代理店でETASを取ってあまった時間で、なんとか島と言う、カニの島へ渡ってみた。残念ながらバスの時刻が合うわなくてペナンの方へはいけなかった。そのカニの島は中国人の人口密度が高い。沈んだらとじこめられるんじゃないかと思うような筒型のボートで一泊するつもりでその島にわたった。ところが期待していたほどのしまではなく、ただのミニチャイナタウン。日帰りすることにした。まあでも中国人の生活風景を見れたのは新鮮だった。

そして、宿を移動。日本人がいそうなところをみつけた。数人の日本人と出会い、会話が弾んだ。初対面の人にはあまり自分から自分のことを話すタイプではないので、話しをしてると面白い。だれも自分がパイロットでオーストラリアで何をしようとしているのか知らない。自分の過去の人生を抜きにして今の自分は他人からどう見えるのかというのを確認するのが結構おもしろい。他人と比べて自分の自慢話をするひともいれば、ただ旅行の話しをする人もいたり。

時間はあっという間にすぎ、帰りの飛行機に乗ることになった。飛行機に乗ると、搭乗券を見せろとスチュワーデスが言うので奥にしまった搭乗券を出してみせると、Thank youと言われて通された。まったく、席なんて自分で見つけられるよ。ところが席を見つけると、えっ?この席でいいんですか?とスチュワーデスに確認してしまった。ビジネスクラスにアップグレードされていた。なんだよ、だったらちゃんと靴はいてきたのに。しかし、ビジネスクラスはシンガポールまでだったので、大したサービスはなかった。

パース空港に到着すると、リュックひとつだけで機内に預ける荷物は無いので1人一番乗りでさっさと出口へ向かった。すると、はい、こっち来て〜と、思いがけないところで捕まってしまった。検疫でひっかかってしまった。確かに汚い格好してるけどさあ。荷物を全部出され、財布の中から全部調べられ、麻薬探知機のようなものですべてチェックされた。結果はもちろん所持していないが、それで済んだと思ったら大間違い。あとは移民監理官の判断に任せるからと言われ別室へ移動。くっそー、何も悪いことしてないのに。

別室では機嫌悪そうな移民監理官、最初に質問は、何しにきた、なぜマレーシアにちょっとしかいないでまた戻ってきたか。ビザを取りに出ただけだよと本当のことをいってやった。違法なのかと聞くと違法ではないと言う。じゃあ、何が悪いと聞くと、観光ビザで入って不法就労する人がいるからだという。日本のほうが給料いいのにわざわざオーストラリアに出稼ぎにくる理由があるか?
もう観光は充分しただろと言うので、21世紀の新年をオーストラリアで迎えたいんだよ!と言ってやった。しまいにはおれもそんな長いこと観光できる人生を生きたいよと言い出した。人の人生計画を何も知らないくせに。英語学校とのビジネスの企画については触れないようにした。まったく日本人が観光でどれだけオーストラリアに金を落としていってやってると思ってんだよ。とまでは言えば良かったけど言わなかった。結局1時間ぐらい足止めをくらって、今回は入国させてやるけど、次回はだめだと言われた。完全に密入国者扱い。なんとか入国できたものの、時刻は夜中。同じ飛行機の人たちはすでに行ってしまったのでシャトルバスもない。仕方なく朝まで空港で待つことになった。

そんなことも今思えばなかなか体験することのできない貴重な体験。そして、大学留学へとつづく。

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