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きっかけ

パイロットになるのは昔からの夢ではあったものの、自分からは遠い存在に感じていたのか、どうしたらパイロットになれるかということをよく調べたことはなかった。それでも、他に特にやりたいことはなく、パイロットになることしか考えていなかった。今の歳で職を選択しろと言われれば、現実を見てしまうかもしれないが、高校生の時点で希望の職業を決めている若者が何人いるだろうか。とりあえず大学へ行って4年間遊ぶのも理解できる。日本の場合どうかわからないが、オーストラリアでは、何かを始めるのに遅いということはあまりない。30過ぎてから飛行訓練をはじめて40過ぎで訓練校の校長までのし上がる人もいる。
自分の場合はラッシュの電車で通学しながらストレスの溜まったサラリーマンを2年半見ていたので、絶対にこんな生活はしたくないという思いが強かった。日本の今があるのはみんなのおかげなので、今となってはありがたい気持ちがありますが、高校生のときは日本の社会の仕組みなどまったく興味なく、一生懸命働いてストレスをためながら日本の経済を支えている人達の気持ちなんてまったく知りませんでした。
最初は日本の航空専門学校に行く予定で情報を集めたが、親の知り合いでオーストラリアの訓練校に日本人生徒を送っている人がいたので、オーストラリアに行くことになった。今考えたら恐ろしい。学校の授業料の金銭感覚なんてまったくなかった。日本で免許を取得するには自家用免許でも1000
円はかかると日本の訓練校に通っていた人に聞いたことがある。飛行機の事業用操縦士免許をとれば何か仕事はあると思ったら大間違い。大変な量の下積みとただ働きも必要となる。それでも諦めずにやり続け、仕事につく人はいるので、パイロットとして働きたい人は、詳しくはメールにてお問い合わせください。というのは海外だけでの話らしく、最近(2004年4月)、日本の事業用操縦士で日本で訓練を受けている人から仕入れた情報によると、日本で事業用操縦士免許と計器飛行の資格を取得すれば下積みなしでも就職口はあるようです。航空会社とつながりのある訓練校を選ぶとよいでしょう。日本で航空大学や自社養成、自衛隊などに入れればまた道は開けるのでしょう。2005年2月に新しく入った情報によると、これからパイロットの需要が増えるらしく今まで諦めていた方ももう一度挑戦してみてはいかかでしょうか。応募条件等はエアライン各社のホームページをご覧ください。

初めてのオーストラリア

18歳の夏、太さ5ミリぐらいのピアスを左の耳につけてオーストラリアに降り立った。飛行機の操縦をしに来た実感は全然わかない。ただ、18歳ぐらいの時期は大人になりたい時期で、これから一人の生活が始まり、自分ひとりですべて身の回りのことしなくてはいけないという、大人気取りの感覚でわくわくしていた。空港にはしげさんという人が迎えに来てくれていた。20代半ばの人がものすごく大人に見えた。日本人なのに英語もうまいし、同い年になったときの自分がまったく想像つかなかった。日本食品の店に連れて行ってもらっても、買った物はほとんどお菓子。やっぱ子供だ。日本にいれば、小学校、中学校のときの男子でもやる家庭科でしか料理は作ったことないし、食事をどうすればいいかもわからない。その日はしげさんにいろんなところを連れまわされ、空港には朝に着いたのに、寮に着いたのは夜だった。その夜は同じ寮に住む日本人に会って挨拶し、特に何もすることなく寝た。

伝わらない英語

翌朝、訓練校に行き、学校の玄関を入ると、“森本さんですか?”と、こんな子供に敬語で日本人スタッフのカズさんが挨拶しに来た。そして、インストラクターのトロイを紹介された。トロイは21歳だったがヒゲをはやした老け顔だったので、運転免許を見せてもらうまで信じなかった。たしか、その日からは訓練は始まらなかった。寮へ戻ってから近所の人にビーチの場所を聞いた。ウェアイズシー?スィ―?オーシャン?ウォーター?と4、5回ぐらい聞き返してやっと通じた。サーフィンは日本で7ヶ月前ぐらいに始めたが、こっちでできるところがあるかわからなかったのでボードは持ってこなかった。ところが、ビーチまで行ってみると、たったの徒歩5分ぐらいで着いた。これはサーフィンをするしかないと思い、庭に置いてあったサーフボードを借りてやることになった。サーフィン仲間として、まず最初に、しげさんが向かいに住むピーターを紹介してくれて、毎日のようにビーチに行った。

訓練開始

さて、訓練のほうはと言うと、次の日もその次の日も空港へ行っても天候がわるく、飛ぶことができなかった。すごく楽しみにしていたのに。いつになったら飛べるんだろうと少しがっかりしたが、その次の日はやっと飛べる事となった。飛行機のタイヤが滑走路から離れて浮いていく瞬間は今でも覚えている。川の上を好き勝手に操縦していいと言われ、少しためらいながらも自分で飛行機を操縦したことは今でも忘れない。

単独飛行

そこから訓練はどんどん進んでいき、17.9時間の訓練の後、やっと初めての単独飛行に出ることになった。ただ一回離陸と着陸をするだけだったが、インストラクターなしで、本当に自分ひとりで初めて飛んだ時はうれしくて飛行機のなかで叫んだ。着陸はやや衝撃が強かったものの、着陸後に管制塔からcongratulation(おめでとう)と言われた時はとてもうれしかった。訓練は順調に進み、GFPTと言う、限られた範囲内で人を乗せても良い資格も取得できた。高校時代の友達、こすけんと、その友達、としかつも遊びに来て、飛行機に乗せた。

色覚異常

色覚検査の本を知っているでしょうか。いろんな色の付いた点がたくさん描いてある中から数字などを読み取る検査で、多くの人が学校で見たことがあると思います。中学校でやった、その検査で色覚異常なことがわかり、眼科の先生にはパイロットなどになるわけじゃなかったら特に問題はないと言われた。中学の頃にはすでにパイロットになりたいと思っていたので、それって大問題なんだけどと思いながらもなぜか諦めることはなかった。なぜなら、そんな本の中から数字が読めなくても、本当に弱い色弱で、実際に生活してて困ったことは一度もない。信号であろうが、なんであろうが、緑は緑、赤は赤でしっかり識別することはできる。オーストラリアに渡ってから航空身体検査を受けた時も色弱であると言う事がばれ、医者に事業用操縦士になるのは難しいと言われたが精密検査を受けることになった。色がわからなくても飛行機を飛ばす事はできる。ただ昼間しか飛べないと言う制限が付いてしまう。片腕の手首から先がなくても訓練をしていた人も見たことがある。実際に身体検査を受けて航空局から判断が下るまで諦めてはいけない。精密検査は、クイーンズランド大学で行い、Lantern test、小さな赤、緑、白(オレンジ)のライトがひとつずつ点き、少し離れた所から色を当てる方法で検査は始まった。そんな単純な検査ではあったが、最後の一回だけオレンジを赤と間違えた。それでも基準には達し、数日後に航空局から夜間飛行の制限取り消しの通知が届いた。色弱でもパイロットになれるので、何かをやる前に諦めるのではなくて、とりあえず行けるところまで行ってみましょう。だいたい、空の世界で似ている色を使うこと自体が間違い。安全面を考えたら、まったく違うはっきり見分けのつく色を使うべきなのに、とりあえず最初はそんな荒い方法でパイロット志望者が削除されていきます。

勉強不足

実技のほうは問題なかったのだが、学科の方は思うように進まなかった。専門用語が多いので教科書1ページ読むのにすごく時間がかかる。同じ単語を10回ぐらい辞書でひくこともあった。というのは今考えてみれば言い訳にすぎず、ただの勉強不足が原因でしょう。パイロットになるには予想をはるかに越える勉強をしなくてはいけなかった。10年経った今でも勉強と試験は続きます。免許を取得するには、もちろん学科試験にも合格しなくてはいけない。事業用操縦士の学科試験は航空法規、航法(法律ではなく、航空方法)、気象、航空工学、その他のすべての科目の試験を朝から3時ごろまで一日で行う。今は1科目ずつ受ける事ができますが、以前は、全ての合計点で75%以上の正解率をとらなくてはいけなかった。そして、また引っ掛け問題が多く、言葉使いも2重否定などでややこしい。と言うのはまた言い訳ですが、試験には3回落ちて4回目にしてやっと合格した。勉強不足が原因ですが、3回目に落ちた時には1冊3センチぐらいの厚さの教科書を5冊ぐらい端から端まで全て読み直しました。それでもたったの79%の正解率しか得られなかった。まあでも悪戦苦闘した分4回目の挑戦で合格したので喜びは大きかった。これが、自社養成だったらたぶん訓練の途中で追い出されていたでしょう。

飛行試験

普通、ほとんどの生徒は事業用操縦士免許の前に自家用操縦士免許を取得しますが、自分の場合はなぜかそのまま事業用操縦士に行ってしまった。テストはというと、緊張していたのか普段は間違えない飛行計画の計算を間違えてしまった。飛行中、見えるべき景色が見えなかったが、運良く何かがおかしいことに気付いて道路をたどって飛ぶべき空路に戻ることができた。今思うと、事業用操縦士なのにそんなんで良く合格させてくれたな?と思う。たぶん、道路をたどったことはばれずに計算して空路の調整をしたと勘違いしたのかもしれない。そうだったらラッキー。試験官は、到着はまだですか?と焦らせ、自分もその間違いにかなり焦ったが、間違いはそれぐらいで後は問題なくテストにも合格することができた。そして、ついにプロのパイロットとなったわけです。さあ、職探した!と思ったら大間違い。ここで終わりではなく、やっと長い長い長い道のりのスタート地点に立っただけだった。

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